オナニーとセックスの違い
こんにちは
童貞です。
童貞が、オナニーとセックスの違いについて書きます。
よろしくお願いします。
オナニーとセックスが違うのは当たり前じゃないか
セックスは1人ではできない
とおっしゃられる方もいるかも知れません。
実際そうだと思います。
人数や妊娠の可能性の事実は置いておいて、それをしている最中の心に焦点を絞って話そうと思います。
私は、Twitterなどで行われているイメプと呼ばれる行為に対して、そんなことをして何が楽しいのだろうと疑問を持っていました。
イメプとは、恐らくイメージプレイの略で、互いにセックスの相手になりきってリプライを飛ばし合う行為の事を言います。
乙女ゲーやエロゲでオナニーすればいいと思いませんか?
少なくとも私は、そう思っていました。
わざわざ、相手を探して、プロの作ったキャラクターのセリフより劣るツイートを交わし合う必要なんてないと考えていました。
しかし、最近になってskypeで作業中に通話をしっぱなしにするサギョイプ、また、その最中に寝落ちするということがしばしば行われていると知りました。
その寝落ちの前に、何故かイチャイチャするようなムードになって、「好きだ」と言ったりするらしいです。
そこで、なんとなくイメプの存在に納得がいきました。
なんとなくなので、文章にするのは難しいですが、雰囲気を楽しんだり、自分を誤魔化せる、または、現実と妄想の区別がついていないような人間が夢うつつのままやっているのではないかと納得したような感じです。
同様の心持ちでセックスをしている人もいるのではないかと考えました。
なら、これはオナニーと何が違うのかと、そういう考えに至った訳です。
タイトルに戻りましたが、実際何が違うのかというと、そこに愛が無ければ、肉がぶつかり合うという以外、オナニーと変わらないと思います。
もしかしたら、相手がいるというだけで、寂しさや劣等感を感じずに済むのかも知れませんが…
しかし、私はオナニーの方が好きですね。
イメプとかサギョイプとかで赤の他人に愛を語られても馬鹿らしくて笑ってしまうかも知れません。
例のごとくガバガバですが今日の記事は以上です。
もし、私は、違った心持ちでイメプしてるんだという意見があったらコメントをよろしくお願いします。
他人が馬鹿に見えた理由
こんにちは
他人が馬鹿に見えた理由についてです。
私は、ずっと多くの人が馬鹿に思えていました。
特に、2chやTwitterをやるようになってからは、それが顕著で、馬鹿ばかりだと絶望すらしていました。
タイトルには、"見えた"と過去形にしてありますが、今でも大半の人間は見方によっては馬鹿だと思っています。
インターネット上の書き込みを見ると同様に考えている人は多いように思います。
ここでいう馬鹿に該当する大半の人間とは、ネットリテラシーが低い人や、常識に欠ける人の事です。
それでは、どのような人たちに対する認識を改めたかというと、人の発言を真似してばかりで自分で考えているように思えない人たちについてです。
もしかしたら、そういった人は、ただ伝える力が不足しているだけで、その人の頭の中では、色々な思考が展開されているのかもしれないと思うことがありました。
というのも、私自身に伝える力が不足しているように感じるからです。
ここの所、140字以上の文章を書くことが無く、相手に伝わるかどうかという事を意識する機会がありませんでした。
そして最近、文章が解りにくいと言われる機会があったので、考えを改めることになりました。(それが、このブログを始めた理由にもつながります。)
とはいえ結局、他人の頭の中身なんてわかりませんし、本当に人の意見を反映しているだけで何も考えていない人も多いかも知れません。
しかし、頭の中が見ることができない以上何を考えているかなんてわかりませんし、理由も無く人を馬鹿にするようなことは避けた方が無難かもしれません。
私も、なるべく馬鹿だと思わないように気を付けたいと思います。
オナニーの仕方(女の子向け)
女の子のみんなは、あそこを触ると気持ちがいいという事に気づいているかも知れません。
それがオナニーです。
しかし、オナニーはやめましょう。
あそこが、黒くグロテスクになってしまいます。
オナニーはやめましょう。
かと言ってセックスをするのはもっといけません。
好きな男の子が出来て、付き合うことになったら男の子から求めてくることがあるかも知れません。
けれど結婚するまでは、セックスはしないようにしましょう。
結婚前にセックスをした人は、結婚できなくなるかもしれませんよ。
あそこは、触ったり触られたりするものでは、ありません。
貞淑に生きましょう。
オナニーの仕方、射精の仕方(男の子向け)
私の精通は、小学6年の夏でした。
小学校で、射精というものの存在を知った私は、好奇心から家に帰って、インターネットでオナニーの仕方を調べました。
そこには、親指以外の指をちんちんの下に、親指をちんちんの上に添えて上下に動かすという事が長ったらしく書いてありました。
こんなのでいいのかと思いましたが、実際にやってみることにやってみました。
初めてで刺激に弱かったからか軽く数分擦っただけで射精することが出来ました。
残念なことに当時の気持ちまでは覚えていません。
しかし、気持ち良くなかったことは覚えています。
今思うと、あのオナニーの仕方が書いてあったサイトはクソでした。
にぎってしごくとだけ書けばいいのに、なんであんな書き方をしていたんだと憤りを感じます。
なので、これから初めてのオナニーをする男の子の為にオナニーの仕方を書くことにしました。
オナニーの仕方は、もう書いてしまいましたが、にぎってしごくだけです。
しごくというのは、握った手をちんちんの先っちょと付け根の間で何度も往復させるという事です。
滑りをよくするためにちんちんの先っちょの色が違う部分に涎を垂らすともっと気持ちが良くなります。
では、よいオナニーライフを
童貞オタクの考える理想の恋愛と現実の恋愛とのギャップ
こんにちは
童貞です。
私には、恋愛について理想があります。
GOSICKのヴィクトリカとカズヤのように離れてもお互いがお互いだけを思い合うような、そんな関係に憧れます。
勿論、相手は処女であって欲しいです。
しかし、現実の恋愛というものはどうでしょう。
遠距離恋愛というものは成り立たないらしいです。
私の初恋の相手は、付き合った相手と時間が合わないという理由で別れたらしいです。
理解しがたい理由です。
お互いがお互いを思っていれば距離や時間なんて関係が無いでしょう。
現実で付き合っている男女には、お互いを思い合う心が無いんでしょうか。
何が男女を結び付けているのかが不思議で仕方ありません。
距離が遠い事や時間が合わない事が別れる原因になるという事は、会ってする事が付き合うという事に必要なのでしょう。
やっぱりセックスでしょうか。
男女が会ってすることが他に思い浮かびません…
不潔です。
兎に角、私が言いたいのは現実の恋愛というものに、お互いを思う心が介在しているとは思えないという事です。
そんな現実ですが、遠距離だろうと何だろうとお互いがお互いの事だけを思えるような関係を築きたいです。
どうしたら出来るか、知っていたら教えてください。
感じたくないけど感じちゃう
この記事で、顔の好みを変える方法を紹介しました。
もし、快感の大きさを感じ取れるならば、過去のただ刺激を与え続けるだけの強制絶頂装置をかなり改良できるのではないでしょうか。
例えば、女の子の快感の強さに応じて、手足を縛るものを外す為の鍵が近づくとします。何とか鍵を近づけようとする女の子は自分の思いとは逆に、絶頂に向かってしまうわけです。
また、イかなければ鍵を手にすることが出来ません。
エッチだと思いませんか?
イってしまったら鍵が遠くなる仕組みがあっても面白いかも知れません。
快感の波が凪いで、鍵が遠ざかったときの驚きから諦めに変わる表情はきっと堪らないものでしょう。
誰か、こんな感じの装置が登場するエロ漫画を描いてくれないでしょか。
よろしくお願いします。
どうやって酒が好きになるか
何故か皆が皆飲んでいる酒についてです。
私は、今はそれなりに酒を飲みますが、飲み始めの頃はこんなもの飲めたもんじゃないと思っていました。
「美味いとは思えない」と苦い顔をして言うと、大概の場合「そのうち慣れるよ」と返されました。そう返した人は、「自分も最初はそうだった」言いながら美味そうを飲みます。
どうして不味いと思うものを我慢して飲み続けると上手く感じるようになるのか常々不思議に思っていましたが、その答えになりそうな記事を見つけました。
ATR、fMRIとAI技術で顔の好みを好き/嫌い両方向に変化させることに成功 - エキサイトニュース(1/2)
一時、洗脳ではないかと話題になったこの記事です。
この記事によると、被験者の脳をfMRIで計測し、好きな物を見た時と嫌いな物の反応を調べておいて、脳が好きな物を見た時に近い反応をすると、その近さに応じた大きさの円がモニタに表示されるようにし、次に、被験者に適当な人の顔を見せながらその円を大きくさせると、それが終わった後にもその顔を見た時に好きなものを見た時と同じような反応をするらしいです。
酒の場合は、モニタを見て脳の活動を意識しながら飲んだりすることはありませんが、周囲が美味しそうに飲んでいることから美味いものなのだと思えるようにと思って飲んでいるので、同じような事が起きているのではないかと思いました。
もちろん他の理由もあると思います。
認識の仕方を環境に応じて変えることは、人と付き合う上で必要な能力なのだと思います。
しかし、一方で、集団で間違った方向に進んでいってしまうのではないかという漠然とした恐ろしさも感じます。
本当に、酒なんて飲む必要があるんでしょうか。
美味しいと思えなかったものを認識を曲げてまで飲む必要があるのか疑問に思います。
もしかしたら酒を強要する集団は、認識を曲げることが出来る人間だけを必要としているのかもしれません。
一応、研究所のリンクも貼っておきます。